一期一会の人生
小柳 才治 様
私は東京国立(くにたち)音楽大学声楽科在学中に、横浜港から船でソビエトのナホトカへ渡り、シベリア大陸横断鉄道で、モスクワ経由で二週間かけてドイツを訪れました。今から46前(1969年)大学二年生の夏休みの事です。
当時はまた飛行機で欧州行きの直行便が無い時代でしたから、シベリア鉄道利用が航空便利用よりも安く便利な時代でした。私の先輩達は船利用でフランス・マルセイユ港まで一月半程かけて行くのが当たり前でしたから、わずか二週間で行けるシベリア鉄道は当時としては随分便利になったと考えていました。
私の初めてのドイツ旅行(欧州旅行)の事は話せば語り尽くせない程の思い出がありますが、今回のテーマは「一期一会の人生」という事で、この旅で出会ったあるドイツ人との出会いについてお話しさせて頂きます。
Wolfgang Karl Dannenmann(ヴォルフガング カール ダンネンマン)当時私より一つ年上の20歳でした。
欧州からシベリア鉄道の帰り道、ロシア・バイカル湖畔のイルクーツク駅で彼と初めて出会いました。当時駅の待合室には古いアップライトピアノがあり、音大生の私はベートーベンの第九シンフォニーの「歓びの歌」の旋律を弾いたのです。そこへ現れたのがヴォルフガング青年でした。お互い下手な片言の英語でしたが「これは俺の国の曲だ!」と彼は大きな声でピアノに合わせて歌ったのでした。すっかり意気投合した二人は横浜の港まで旅の良き友として語り合いました。港に到着してから、そのまま横浜の我が家へ直行、富士山登山などを共にし、さらに我々の友好は深まったのでした。
そして、その後私のドイツ音楽留学時代、オペラ劇場で歌手の道をあきらめた挫折の時代、その後、ワインの道へ進み、現在に至るまで彼と、彼の家族そして友人達との長く深い親交が続いています。
彼はドイツの大手金属会社の本社営業部長を経て、支社長で定年を迎え現在は悠々自適の人生を送っています。南ドイツBaden Wuertemberg州ULM市の郊外で広大な原始林の管理と森林動物の生息調査官などを趣味の延長線上でやりながら、自然と共に夫婦二人と馬、羊、ヤギ、鶏、ウサギ、犬、猫達とともに、楽しい生活をしています。
彼との出会いがなかったら私はドイツとの関わりがこんなにも無かったであろうと思います。ドイツとの関わりは私にとって青春時代であり、人生そのものと言っても過言ではありません。
私は日本ドイツワイン協会連合会三代目会長として「ドイツワインを日本の消費者の方々に1本でも多く楽しんで頂く事」それがせめてもの私にできる「ドイツへの恩返し」と心得ております。本日はどうもありがとうございました。