安全保障関連法と日本の進むべき道
神余 隆博 様
1.いまなぜ集団的自衛権か
今後、東アジアで起こりうる危機の可能性は(1)朝鮮半島有事、(2)台湾海峡有事、(3)東シナ海(尖閣)有事、(4)南シナ海有事の4つ。
核とミサイルの拡散、軍事費と軍備の急激な増大、力による現状変更の試み等の危険性が指摘。安全保障関連法制整備の緊急性が生じている。武力行使事態の発生を防ぐためには、外交努力に加え、日米同盟による抑止力を高め、集団的自衛権の問題に踏み込まざるを得ない状況が出現。
日本国憲法には自衛権に関する規定は存在しない。これまでの憲法の解釈として、個別的自衛権は許されるが、集団的自衛権は国際法上有しているが憲法上行使することは許されないと考えてきた。
国際情勢の変化を踏まえ、安倍内閣は2014年7月1日に閣議で憲法解釈を変更することを決定し、2015年9月19日に国会で平和安全法制整備法が成立した。
集団的自衛権については、(1)我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、(2)他に適当な手段がないこと、(3)必要最小限度の実力の行使であることという厳格な3条件付きの行使容認であり、集団的自衛権の限定的な行使であると政府は説明。
集団的自衛権と憲法との関係については、(1)憲法改正、(2)解釈の変更ないし新たな解釈の採用、(3)事情変更(「憲法の変遷」)の考え方の3つの可能性があるが 、政府は現実的なオプションとして(2)の解釈の変更の道を採用。黙示の権限(implied power)の考え方に立てば、憲法に内在する権限として、国際法上認められている集団的自衛権を法律に基づいて限定的に行使することは立憲主義に反するものではない。ただ、そのためには自衛隊法等の改正を行う必要があり、これを行った。違憲か合憲かは訴訟があれば最高裁が判断。ドイツは1994年に憲法裁判所がNATO域外での連邦軍の集団的自衛権に基づく活動への参加を合憲と判断した。ドイツでは憲法の改正も法律の制定もなく、司法による憲法解釈により問題の解決が図られた。
2.東アジアの緊張を打開する日本の外交戦略
(1)武力で現状を変更しない原則の普遍化—アジア版ヘルシンキ宣言
1975年にヘルシンキで開かれた欧州安全保障協力会議(CSCE)は、第二次世界大戦後の国境の現状を出発点とし、現状を武力で変更しないことに合意。このヘルシンキ合意は冷戦による武力衝突を抑止し、結果として14年後に冷戦を終了させることになった。
日本も昨今、安倍首相自ら武力による現状変更の禁止を訴えている。今後は、武力による現状変更の禁止と法の支配の尊重と共に、1972年の日中共同声明や1978年の日中平和友好条約で合意された紛争の平和的な解決ならびに覇権反対の原則を多国間の政治合意や宣言として確立すべく積極的に平和攻勢に打って出ることが必要。強い政治力と、プロフェッショナルな外交力が必要である。
南シナ海についてはASEAN諸国や米国、韓国、ロシアも参加する大きな枠組みを作る外交努力が重要であり、軍事的な衝突の危険を回避すべき。中国は東アジアにおける華夷秩序的優劣を決する好機到来ととらえていると思われる。日本の衰退を見据えた東アジアにおけるリーダーの交代を求める動きである。日本は、「冷静」かつ「戦略的に」対応すべきである。安全保障関連法制の整備もその一環である。希望的観測と惻隠の情により相手に融和的な態度を示せば、取り返しのつかない事態となるのは古今東西の例の示すところ。
領土問題は、対話と交渉を通じて粘り強く解決を目指すことが鉄則。日本は武力による現状変更の禁止を中核とするアジアの安全保障構想を国際社会に示すべき。ASEAN諸国等アジアの多くの国々と組んでアジア版の「ヘルシンキ会議」開催を提唱し、合意形成をはかる戦略外交が求められている。
(2)アジア・アンタントを求めて
東アジアは当面はバランス・オブ・パワーの考え方に依拠せざるを得ない。その際の行動原理は、ナポレオン戦争終結から100年間、欧州の協調を維持してきた協商(アンタント)というウィーン会議の考え方。加えて、現状の承認と武力不行使を求めるヘルシンキ原則である。
東アジアの新秩序は、リバランシングを進める米国、中華民族の偉大な復興を夢見る中国、強い国家の再興を目指すロシアそして経済と社会の再生を目指す日本のいずれもが経済発展と平和な国際環境を共通の分母とする利益共有関係を実現することによって達成されるもの。このようなアジア・アンタントは中国語でいう「求同存異」(小異を残して大同を求める)の考え方とも一致する。大局的かつ長期的に小異は残し大同を求め、暫定的な妥協(modus vivendi)を模索する外交努力こそが日本の積極的な平和主義に根差す外交。アジア・アンタントを実現することが日本の国益と国際公益にかなうものと考える。